うみつづり

海のレシピ

Voices思い出を読む

あの日、あのときの海での出来事。
これまでに寄せられた海にまつわるエピソードをご紹介します。

祖母と会うと必ず海に行って貝をあつめたり、砂にうめてもらったりしていた。今ではなかなか会えないけれど、思い出としてずっと心の中にあります。

ほのか(東京都練馬区・20代)

中学・高校生の時、学校のイベントで月に一度海岸のゴミ拾いボランティアに参加した。数年後、その海がアジア初のブルーフラッグを取得した。

Aya(福井県・20代)

「タオル持ってきてー!」と父親に言われて、波打ち際までタオルを持って行ったあと、そのタオルを置き忘れて、家に帰ってしまった。サンリオのくじ引きで当たったお気に入りのタオルがなくなって、とても悲しかった幼稚園の頃の思い出。

たおたお(奈良県・40代)

小さい頃、田舎の愛媛の海に連れて行ってもらって泳いだ時に、足にまとわりつく海藻が気持ち悪くって気持ち悪くって、この気持ち悪い感触は何だろうとずっと思っていた。豊かな海の証拠だったということを知ったのは、大人になってからの話。

あひる(奈良県・40代)

父は娘に「宥海」と名前をつけた。きらきら輝く凪の海も、命の危険を感じる嵐の海もある。「穏やかな海に宥められ、荒れた海を宥められる、懐の深い人間になるように」と父は思いを込めた。あなたにつけてもらったこの名前のおかげで、私はたくさんのご縁に恵まれています。肌身離さず、どこへだって持っていける素敵な贈り物をもらいました。

浦上宥海(愛知県・20代)

仕事で富山に行ったとき、初めてホタルイカ漁の漁船に乗ることに。
寝不足のまま集合し、暗闇のなか出港。まだまだ春とは言えない海上の風にさらされながら船が進む。
網を引き揚げる漁師さんと、揺れているたくさんの魚灯。いつ終わるかもわからず、何もできないまましばらく見守った。頭上に群れるカモメも加わって、壮大な祭りみたいだった。

ほたる(大阪府・30代)

誰もいない砂浜で一人、水平線を眺めた夏の終わり。

五十嵐孝介(福島県・20代)

波の音は沈黙の苦しさを和らげてくれるものでした。

くろいひと(新潟県・20代)

小学生の時、家族で海に行き、素潜りしてウミウシや魚を獲った。砂で作った大きな穴に海水を入れて小さな水族館を作った。帰る時に逃したけど、すごくかわいかった。

新保涼香(新潟県・20代)

浮輪で泳いでたら、モズクチェイスしてた。モズクと。2時間。

目黒りこ(新潟県・20代)

大学1年生の夏休み、友人がおらず暇だったので一人で海に行きました。昼ごはんを食べたあと自転車をこいで向かったら熱中症になり死にそうになりました。そのときに見た海は人生で一番鮮やかでした。

夕(富山県・20代)

浪人していたとき、制作に行き詰ってクリスマスに一人で海に行った。海の絵を描いて楽しかった。

伊東佑里香(愛知県・20代)

9月の海は冷たくて青緑色をしていた。遠くで大きい魚が跳ねていた。

田中樹(新潟県・20代)

小さい頃毎年家族で行っていた海水浴。決まっていつも牛塩タンでバーベキューするのが何よりの楽しみでした。

ヤマダ(新潟県・20代)

夕日が沈む日本海が好き。

長岡太郎(新潟県・20代)

友だちと沖に行こうとした時、自分だけ浮輪を借りてなくてスイカのビーチボールで頑張って泳いだよ。

さんしろう(広島県・10代)

小さい頃、かなり深いところで姉に浮輪を奪われ、必死で岩場まで泳ぎました。

山羊(新潟県・20代)

初めての海。プールよりずっと水のちからが強くて自分がちいさく感じた。

ひらいわ(愛知県・20代)

波に持っていかれたあのビーチサンダル。しばらく見ていたら返ってきた。

入香(愛知県・20代)

海無し県出身の私が、初めて生で見た新潟の海。ゴミがたくさん浮いていて「海って青くないんだ」と思いました。

長野県(後藤甘奈・20代)

中高一貫校に通っていた時、中学1年生の1日だけ、皆で海岸清掃をした。

緋山(新潟県・20代)

海辺の実家で育ち、ずっと耳に残る波の音。でも、それが波の音だとは気づかなかった。冬、雪深いおばあちゃんの家に初めて泊まった夜、眠れずにいると、周りは静かで無音だった。そこで初めて、実家ではいつも波の音が聞こえていたんだと気づいた。
その音は心に安らぎを与えていた。静けさの中で、その音がないことを強く感じた。海の近くで育ち、波の音に慣れ親しんできた私にとって、その音は生活の一部。その音がなければ、心は満たされない。
今は、海から離れて暮らすことは考えられない。波の音は私の心の故郷。その音がある限り、どこにいても安心できる。海の音色が、いつまでも私を包んでくれる。

サンタ(新潟県・20代)

私の恋人は海沿いの街で生まれ育った。
海辺で暮らしているというだけでどんな人生でも映画の登場人物のようになれるのが羨ましかった。
その海で、誰もいない砂浜を恋人と手を繋いで歩いた。
その瞬間、私の人生も映画になった。

ピ二(新潟県・10代)

海なし県の群馬県に育ちました。大学進学とともに新潟に引越し、たまに寺泊に遊びにいくことがありました。寺泊の砂浜にはたくさんのゴミが打ち上げられていました。「海の森、海のいま…」で打ち上げられたプラスチックでのインスタレーションを見て感銘を受けました。

真実(群馬県・20代)

富戸の漁船上から見た朝日。

佐々木ひろこ(大阪府・50代)

クラゲに刺された。父の影響で毎年海に行っていた。バナナボート乗れなかった。シュノーケルをはじめてやった際の緊張感。

やまぴー(東京都・20代)

熱海の海を一望できるホテルに行きました。少し背伸びをしたホテルでしたが、大好きな人の誕生日を海を眺めながら一緒に過ごせて幸せでした。

おんに(神奈川県・10代)

海水浴をしに、伊東まで旅行をしに行ったけれど、台風で波が高く、海へ入れず、眺めていただけの思い出。

ぴ(神奈川県・20代)

いつもの3人組で夏に花火をした海岸で、卒業式の前日に写真を撮りました。

ひつじ(新潟県・20代)

友達とつりに行ったけど、全くつれなかった。漁に出ていたお兄さんが金目鯛と生シラスをくれた。あたたかい気持ちになった1日です。

うなぎ(静岡県・20代)

今は亡き、大好きな祖父は海が好きだった。
子供から大人まで親戚4世代が集まるお盆の恒例旅で立ち寄る、日本海が見える温泉宿で、誰よりも先に誰よりも頻度高く、海に入って行ったのは祖父でした。80を超えても、海に行けば必ず早朝から海に浸かっていた。
最期を迎えるまで、元気に朗らかに過ごしていた農家だった祖父は、大地や海から力をもらって過ごしていた人だったなと思います。

日本海好き(神奈川県・40代)

波で砂が流れる感触を足の裏で感じる心地よさ。

ぺぺぺ(新潟県・50代)

小学校の頃、まだ家に車の無い頃、西小千谷駅から魚沼線に乗り信越線に乗り換え、鯨波駅に到着。目の前に日本海、車とは違った楽しい時間。朝~夕方までの家族での夏の楽しい想い出でした。

中山筋肉(新潟県・70代)

子どもが小さかった頃親子4人で夏、泳ぎに行ったこと。年長の長女はスイミングに通っていたためすごく楽しそうに泳いでいて、4つ下の次女は波が足にかかるだけでワーワー泣いてばかりでした。

堀沢政浩(新潟県・60代)

私が生まれたのは静岡の伊豆。白いビーチまで徒歩1分。家から水着で泳ぎに行ける場所。大きな波が崩れる直前に潜り込み、澄んだ海で目をあけて砂を見下ろすのが楽しみでした。中学の夏休み、午前海で午後は昼寝。今思えば贅沢な日々です。

ほしのなおみ(静岡県・40代)

友人が誕生日を海で迎えたいと言うので夕方の海に2人でバイクで行き、夜中にカウントダウンをしてお祝いをしました。そのまま朝まで浜辺で語り合いました。山育ちの私たち、波の音を聞きながら楽しい思い出です。

あやや(新潟県・40代)

山の近くに住んでいたので子どもの頃に海で遊んだことはあまりありませんが、大人になってから会社の人や友人と一緒に行った美しかった海で舟に乗り、なぜかいつも舟酔いしてゲロしている。そしていつもなんで舟に乗ったんだと思う。後悔が海の記憶。

kayaya(新潟県・50代)

私の子どもの頃(低学年の頃)に海に行くのは年に1回だけだったので、とても楽しみにしていました。当日は蒸気機関車でした。それは昭和35年頃でした。戦後の混乱が落ち着いた頃だったのでしょう。娯楽が生活の中に生まれた頃で、家族で遊びにいくことのはじまりまでした。ですから夏はみんなが海に行くわけです。まだ車は一般人には手の届かない時期。みんなが汽車で出かけました。駅のホームは大混雑。来た汽車は客車には乗れなくて、後ろについていた貨物列車に乗り込み海までいきました。暗黒の中乗っていたと思うが、怖さの記憶はありません。ワクワク感のみでした。 

西澤薫(新潟県・70代)

研究室のみんなで釣りに行った。釣れた魚をさばいて食べた。

雅(新潟県・20代)

ふとしたとき、何かから逃げたいとき、ボケーとしたいとき、音楽を聞きたいとき、一人の時間を過ごしたいとき、1時間、海岸線をドライブしています。

ミヤケハルカ(新潟県・20代)

SUPの上でながめる日本海の夕暮れ。

紗綾子(東京都・30代)

ゆるーい波にゆらゆらと、フワッと浮き上がる瞬間に“プカホー”と言うのが、幼いころ、家族の中で流行ってました。

mido(神奈川県・30代)

高浜町の遠浅の海が綺麗すぎて感動した。

ちゃんそらん(福井県・10代)

昔、お父さんと妹とで海に行った時にお父さんのメガネが海に流れてしまったことがありました。帰りは私と妹で、お父さんに「信号、青になったよ!」と声をかけながら家まで帰ったのですごく大変になったのを覚えています。

みさき(福井県・10代)

釣りに行った時に感じる、糸をたらして何かがかかるまでのワクワクとドキドキがたまらない。

信太朗(福井県・10代)

小際に頃によく父親と釣りをしました。タイが釣れた時はうれしかったのを覚えています。

タカ(福井県・20代)

娘が石が好きなので、海辺で沢山のきれいな石を拾いました。色がついている石や貝がらを見つけて見せ合いをしました。

美春(福井県・50代)

海で遊んだこと。楽しかった。

りみ(福井県・10代)

のとじま水族館へ行ったこと。
のとじまの海がきれいだった。
海が見えたので感動した。

のあ(福井県・10代)

珪藻と出会ったこと。

ささ(福井県・10代)

夫婦2人プラス子ども3人となり、砂浜で遊ぶ何気ない日常の光景!シーグラスを拾ったり、2歳の息子が走り回り転がったり、気がつくと時間が経ったことも忘れるくらい、波の音を聞いて家族のにぎやかな声が響き渡って、幸せ~な時間でした。

かけママ(福井県・40代)

小さなころから敦賀の松原の海で泳いでいました。いつも見てもキレイな海だと思っていましたが、実は海の環境は悪くなっているのだと大人になってから知りました。これ以上環境が悪くならないように、一人にとりが海を守っていかなければいけないと思いました。

朋子(福井県・40代)

幼い頃に家族で行った海水浴です。一番はしゃいでいたのは間違いなく父でした。父の嬉しそうな顔が今でも思い出されます。私も家族を持って海水浴に行きますが、一番はしゃいでいます。DNAってスゴイ!!

りん(福井県・40代)

若狭あのう地区で家族といっしょに海で泳いだり釣りをしたこと!!

心愛(福井県・10代)

三國サンセットにて、孫とアジ釣りをしたこと!10月上旬に、亀島付近にていそダコをひっかけに行ったこと。

拳三(福井県・60代)

小さい頃に家族全員で船に乗ってお母さん以外の全員が酔いました。お母さんだけはしゃいでいて、あとの全員は口もきけない程つらそうでした。

悠太(福井県・10代)

息子と一緒に小浜のそとも巡りに行き、舟に乗りました。1時間くらいクルーズして滝や崖を見ました。天気も良く、風は強かったけど楽しい思い出になりました。

ゆうのママ(福井県・30代)

小浜市のそともめぐりにいきました。ふねにのっていきました。

ゆうご(福井県・10代)

実際に魚にふれることができた。

香織(福井県・50代)

パパと船に乗って岩に行ったこと。

大和(福井県・10代)

沼津深海水族館でシーラカンスの脳が5kgということ知り、ぶったまげた。

景太(静岡県・10代)

フィールドワークで富山県に行ったとき、数年ぶりの海に生徒とはしゃいでいっぱい笑ったこと。

帆乃(埼玉県・10代)

大学の寮の友達と熱海旅行♡

むー(北海道・20代)

子どもの頃、家族で行った海で大好きな父と同じ水着の知らないおじさんを父と思いついていき迷子になり、家族みなで私を大捜索してくれた。

はやと枢機卿(長野県・40代)

静岡、伊豆。高校生の時、波にのまれ海底に頭を打って気を失いかけた。それも今生きてると思うと楽しい思い出です!!

なおし(千葉県・50代)

お母さんと一緒に行っておぼれた…。

ちいかわ(埼玉県・10代)

父が海に行った時、浅瀬でウミウシを拾い見せてきました。気持ち悪すぎて逃げるように泳いだ私は人生で一番速く泳げた気がします。

ふぐくじら(愛知県・20代)

若い頃、ダイビングにはまってました。朝の海、昼の海、夜の海、そして海の中。季節も湿度(水温)も、体で感じた思い出。また、海と過ごそうかな~!

Koh(東京都・40代)

下田でたくさんおよいだ。魚もおよいでました。

かのん(東京都・10代)

はじめて釣った大きな魚はタカノハダイ(約28cm)30年くらい前の話。

ただの執事(静岡県・40代)

祖父に船で一緒に魚釣りをさせてもらった。とれたてのアジがとても美味しく今でも忘れられないです。

まさ子(大阪府・40代)

家から5分の海。家族で海水浴によく行きました。

〇〇(新潟県・40代)

50年前サーフィンしました。

カズ君(東京都・70代)

旅行で出かけた先の市場で食べた金目鯛の煮付けが美味だった。遊覧船に乗れば海面スレスレをカモメが飛んでいる姿が今も目に浮かぶ。海なし県出身の自分には印象的だった下田の海。

G2(岐阜県・20代)

海なし県埼玉で育ったけど、子どもの頃の旅行は毎年、新潟の海でした。透明度の高い日本海で、両親と魚をつかまえたあの夏の思い出はずっと胸の中に残っています。

ぺちか(埼玉県・20代)

トライアスロンで泳いだ
1.5km
クロール

やすまさ(愛知県・40代)

子どもたちがはじめて海に入る時、ちょっとこわそうにおびえながら入ったことが印象に残っています。入ってみると気持ちよさそうにぷかぷか浮いていました!

ママ(愛知県・40代)

初めて見た伊豆稲取の貝殻とシーガラス!海岸で拾うの夢中になりました。以来道端でも目に留まったものを拾って家に持って帰って好きを広げる子供になりました。大人になってもやってることは変わりません。親は首を傾げています。

さまざまな子(東京都・40代)

記憶の隅にある、海沿いの建物。小学校の遠足で見た、打ちっぱなしコンクリート。開けた土地に建つこの建物のなかには何があるんだろう。
無機質な外観は、想像力をあらゆる方向に膨らませた。それはまるで、簡素な外観に夢がつまった私たち地方民のユートピア、ショッピングモール(AEON)のよう。あらゆる幸せな家族が歩くストリート。
大学生になり、車で自由に地元を動けるようになり見つけた。
あの建物。
記憶よりずっと小さかった私のユートピアは、浄化センターだった。

チロル(富山県・20代)

海沿いのホテルに泊まった。

国が経営してる
保養所みたいな白いホテル。

海は、湾になっていて、
夜中にお化けが出た。

一人で浜辺を、朝、散歩した。

福井の浜辺

tak(京都府・60代)

私の愛犬が初めて海を見たのは、知多半島だったな。ずっとずーっと見つめていた、

mimi(東京都・40代)

きっと私がずっと小さい頃。家族旅行で海へ。2つ上の姉がクラゲに刺された。その事実くらいしか記憶には残ってないけど、家族4人で海へ旅行に行ったという思い出はいまだに残っている。

あゆみ(静岡県・30代)

毎日海沿いを走りながら出勤していたあの頃。海を見ながら仕事していたあの頃。ふらっと海に足をつけにいけていたあの頃。なんて贅沢な時間だったんだと思う。
あの時間があったから今の私がいる!ありがとう♡

ヒロ(静岡県・40代)

イルカが海に群れで泳いでいたのでとても感動した。

タマフネ(福井県・10代)

家族で波に流れてたら溺れかけた。

美琴(栃木県・10代)

最近はよく聞くようになってきた離岸流。
子どもの頃、故郷の海で泳いだあと、浜の方に戻ろうとしたが、なかなか進まない。ようやく足がつくところまで来て、歩いて進もうとするが、もがけばもがくほど沖に押し戻される。誰かに足を引っ張られるような感じ。
このまま流されてはいけないと必死に力を振り絞って前進し、何とか戻ることができた時はへとへと。
いまなら少し横にされるという知恵もあるけれど、昔はそんな話は聞いたこともなかった。子どもの頃の夏の怖い思い出です。

湯浅一弘(福井県・70代)

去年の夏のこと。子どもと海へ行きました。目的地の近くに海があったから、浜辺で足くらい濡らそうか、と立ち寄ったのです。
が。
海に着くと子どもは一目散に駆け出しなんと服のままざぶざぶと海の中へ!海水浴の人たちに混ざって、泳ぎ始めました!慌てて私も膝上までズボンをたくし上げ、追いかけました。怖がりで慎重で、初めての場所ではしばらく様子見、が通常運転の子どもが見せた思いがけない姿でした。
チャレンジできるんだ…!
知らないうちに成長しているのだなあ!と驚きつつもとても嬉しくて、笑いながら涙が出ました。海の魔法かな。

浜辺童子(東京都・40代)

海での一番古い思い出。
多分私が幼稚園児だった頃だから、もう60年前。伊勢志摩のどこかの海岸に家族で遊びに行った時の事。海に入って遊んだ事は覚えてないけど。
浜が暑くて、どこかで木の枝を4本拾ってきた父が、敷物用に持って行った布を枝の先に結び付けて、日除けを作ってくれた事を思い出す。その陰に入って、お父さんすごい!と思った。今思えば、軍隊経験のある父はアウトドアのエキスパートだったのかも。存命なら101歳だなあ。

Kumiti(三重県・60代)

シーグラスを拾っている最中にフグを拾った。海に返してあげた。

板里カエ(静岡県・20代)

何年も前に自立して実家を離れた兄が久しぶりに顔を出しに来た時のこと。暇だからと2人で家の近くの海へ散歩に行きました。私はシーグラスを探して下ばかり見ながら歩いていて、兄はその後ろをふらふら歩いていました。私がテトラポットの影を踏んだ時兄が「危ない!」と叫んで駆け寄ってきました。振り向いた瞬間、バシャーン!!と激しい音に包まれました。2人とも全身ずぶ濡れになっていました。テトラポットを乗り越えた土用波に打たれたんです。あまりの衝撃に2人で大笑いしました。服も髪もリュックに入っていたイヤホンも濡れてしまったけれど、久しぶりに兄と楽しい時間を過ごせたので良い思い出です。

板里カエ(静岡県・20代)

小さいときは、親戚家族と毎年熱海の海に行っていた思い出があります。海から出て食べるピザポテトが好きでした。

もえ(東京都・30代)

私が小学生だった昭和40年代に、時々家族で海水浴に行った。海で遊ぶのは父と姉と私だけ。日傘を手にした母は砂浜の地着物に姿勢正しく座り、何時間も待っていてくれた。波打ち際から母に向かって手を振ると、いつも微笑み返してくれた。お母さんは泳がないの?退屈じゃないの?そんな私の問いかけにも優しく笑うだけだった。あの時代はそういうお母さんが多かった気がする。
今でも海を訪れるとその時の母の姿をふと思い出すことがあり、少し切なくなる。

こむぎ(神奈川・50代)

楽しい思い出:ビーチでのスイカ割り。うまく割れてみんな笑顔で食べた。
ツライ思い出:身体中クラゲにさされる。

毬乃(滋賀県・30代)

中学性の頃に佐渡で高波にさらわれそうになった。

あさけん(埼玉県・50代)

2022年に伊東で家族で泳いだ海。おともだちと花火もみたよ。

モンチャック(東京都・10代)

高校一年生の時、はじめて友達5人だけで新潟の海にキャンプに。夜中台風がきてテントが飛ばされるなどさんざんな事もあったけど、今でも思い出す思い出!

しげる(東京都・40代)

高校生だった頃。バスケットボール部でくたくたになるまで練習試合をしたあと、先輩たちと海に走っていって、もっとくたくたになるまで海で素潜りをしたこと。いまでも地元で海に向かっていく学生たちを見ると、当時の匂いや楽しかったみんなとの生活を思い出します。

吉倉恭寛(新潟県・30代)

海よりも山が身近な場所で育った自分には、年に一度の家族で行く海水浴は特別なものでした。数日遊んだ海からの帰り、海が見えなくなってしまうその瞬間のなんともいえない物悲しい感覚は40年たった今でも思い出せます。その時、車で流れていた音楽と一緒に。

TKSND(東京都・40代)

はじめての海は1歳と4ヶ月で角田浜へ。怖がったそうですが泣かなかったそうです。母の従兄弟に抱っこされて。小学生の頃は夏になると、母の姉妹の叔母さん一家と、新潟の角田浜と越前浜に連れて行ってもらいました。当時はまだバスがなかったので、リヤカーにコンロや鍋などを積んで、浜の近くにある松林まで運びました。かかとから砂をぐぐと押してとったあさりなどをお味噌汁にした思い出があります。

志津(東京都・80代)

小さい頃、お盆の初日の早朝には、父と祖父と小さな丸い白い石を海岸に拾いに行った物だった。夏の朝の海で洗われたつややかな白い丸石は、先祖のお墓に供えるために毎年新調する物だった。白くて小さな丸石は墓石の上に数個ずつ供えられるが、その白い石はお盆が終わるとお墓の地面に打ち捨てられるので、我が家の墓の地面には白く光る石が雪のように降り積もっていた。
私が大人になる頃、祖父もまた亡くなりいつしか小石を拾う習慣も無くなった。それは大量のテトラポットが浜に置かれるようになり、潮流が変わったせいか浜が波で削られてしまい、石を拾う海岸が小さくなったせいもあったかもしれない。
今では、お盆にお墓の白く光る地面を見ると、広々としたあの頃の海岸と、夏の海が思い出される。

くらら(新潟県・30代)

祖母の生まれが新潟だったこともあり、夏休みによく遊びにいきました。海も山も好きな伯父がいつも海に連れて行ってくれました。道中にあるすいか畑に立ち寄って「いくらでもとっていいんだぞ〜」と言うので、一緒に畑からすいかを運びました。内心どきどきしながら。海に着いて「すいか冷やしておくわ〜」と叔父が海にスイカを投げてしまい、案の定割れて、みんなで大笑いしながら、海水でしょっぱくなったスイカを食べた記憶があります。

佑子(東京都・40代)

新潟県村上市の笹川流れというキレイな海で涼しい時期には、泳げませんが砂浜で遊んだりご飯を食べて1日海辺で過ごします!
「洞くつの海がすきっ!」息子より

おしょうさん(新潟県・10代)

無愛想な私の祖父は、私が小さい頃、よく船を見に港に連れて行ってくれました。
地元を離れ、子供が産まれ、地元に帰ってきた今。歳をとった祖父は更に無愛想になりましたが、今度はひ孫と2人きりで港へ船を見に行きます。地元の大きな船と、漁船。そして港で釣りをする人達の姿をみると、祖父の不器用なりの愛を感じます。

かっぱ(新潟県・20代)

シーグラス探し
でっかいからあげ
足湯と夕日
いつもと違う海
海で食べるおにぎり〜

らす(新潟県・30代)

8月の灼熱の太陽の下、キンキンに冷えたビールを下田の砂浜で"海"を眺めながら飲む。更新されない人生イチの美味しい体験です。

下田大好き(千葉県・30代)

家族で港へ行き、父がその辺に生えている雑草で作ってくれた釣竿で、小魚を釣って遊んだこと。嘘みたいに簡単にたくさん釣れた、とても楽しい思い出です。

けいこ(富山県・40代)

伊豆の浮島海岸、ヒリゾ海岸。20代で初めてシュノーケリングをして、こんなに豊かな海の世界があるんだと思いました。特にイカが泳いでいるのを見たときは本当に感動でした!
今はなき海の家(宿もついている)はおっちゃんとおばちゃんがとてもやさしくて、いつもよくしてくださいました。特性の海苔が入ったそばを海から上がった後に食べたり、夜はBBQしながら昼間海で見た魚の話や、また海に入って夜光虫がキラキラするのを見たりしたのも忘れられないです。子供が生まれてからは1度だけ訪問。また一緒に行きたいと思っています。遊び方は変わったけれど若いころ自分が好きだった海をどんな風に感じるのか、見守る楽しみも味わっていきたいです。

みー(東京都・40代)

幼かった頃、家族親戚と行った海水浴がとても懐かしい!みんなで浅瀬で泳ぎスイカ割りし真っ黒になって遊んだ事が今でも楽しい思い出になっています。

yukiko(山梨県・60代)

三重県に家族でやってきた当時、妻は新しい土地に慣れず、不安を感じることが多い日々でした。そんなとき、海が身近にあったことで、海岸を夫婦で散歩したりして、気分を落ち着けていました。津の海は広く、波も穏やかで、訪れるたびに心が落ち着きます。

津市のおっさん(愛知県・40代)

小学生の夏休みに、共働きの両親に代わって祖父が海に連れて行ってくれました。私と兄と弟の3人で、他に誰もいない海水浴場で遊びました。祖父が、事故が起きないようにと、浮き輪に紐をつけて持っていてくれたのですが、3人分の重さで引っ張られるとなかなかの力だったようで、たまに離してしまいそうになっていて、少し恐怖を感じたのを覚えています。楽しかった思い出であるとともに、海の怖さを感じた思い出でもあります。

すずき(新潟県・20代)

イベント等で集まった、手書きのエピソードたち。
2022年に開催した『海の森、海のいま』展で寄せられた海の思い出もご紹介します。