うみつづり

海のレシピ

Voices思い出を読む

あの日、あのときの海での出来事。
これまでに寄せられた海にまつわるエピソードをご紹介します。

梅雨の合間の晴れた日に、鳥取砂丘に星を撮りに出かけた。
暗闇の中、「馬の背」と呼ばれる小高い砂の丘の頂上にたどりつくと、そこに広がっていたのは、満天の星とイカ釣り漁船が浮かぶ日本海。カメラをセットして長時間露光している間、みんなでぼーっと漁火を眺めながら、いろんな話をした。寒かったけど、忘れられない大切な思い出。

Naho(奈良県・40代)

電線がはりめぐらされた狭い坂を下り、目の前にすこしずつ海が見えてくる。前世は坂のある港街に住んでいたのか、涙が出る瞬間だ。やがて坂を下ると、目の前に広がるそれは世界とつながっているのだと胸が熱くなる。その刹那を求めて、私は旅を続けるのかもしれない。

イヌイチカエ(滋賀県・50代)

2人旅、夢だった島根旅行、鳴く砂を踏みながら満喫した。次の電車を逃すと1時間40分待つことになる。滞在時間は1分間だった。

あさっち(千葉県・20代)

鳥取砂丘から続いている日本海海岸を見たコト。

はーちゃん(東京都・20代)

こどものころの海の思い出は実はそう多くないのだが、その中で鮮烈な記憶としてのこっているのは、山口県青海島だ。対岸の仙崎がおじのふるさとで、おじ一家と二家族で夏休みに出かけた。日本海で思う存分泳いだのも楽しかったが、それ以上に忘れられないのがハマチの養殖場を見学したこと。えさに群がるたくさんの魚たちを見た後で、まだピクピク動いているお造りを食べた衝撃や、アメリカンドックのように食べた焼き立てのちくわの美味しさ(それ以上においしいちくわにはいまだ出会えていない)が忘れられない。あの頃の青海島はもっと活気があり、いろどり豊かだった。

光(千葉県・50代)

幼い頃に家族で行った越前の海。 用心深い両親のため、決められた範囲(岩で囲まれた浅い所)でのみ遊んでいました。思えばそのおかげで海への安全意識が深く身につきました。当時は浅瀬でもたくさんの生きものをみることができ、海から上がったあとにみんなで食べた海鮮も思い出の一つです。子どもの頃といろんな視線が違うので、変わって見えるものもありますが、海だけは昔も今も変わらず大きいもの。

sun(福井県・20代)

友人が広島に転勤。会いに行って海辺で語りました。久々の話、時を忘れ、気が付けば目の前に海面に映る夕日が広がっていました。

にっこり(長野県・20代)

広島のいつくしま神社

崇(東京都・10代)

友達と近くの海辺まで自転車で行って、遊びの傍ら投げ釣りをしてました。遊びがメインで釣りはサブ。針にえさをつけて海に放り投げておいて、遊びの合間にリールを巻いてみる。これが不思議と釣れてて、サブにしておくには申し訳ないくらいの釣果があがる。30~40年前の話だが、その頃は魚も多かったせいかよく釣れた。魚種はハゼ、カレイ、キス、ベラなどで、サイズこそ小さいがその日の食卓にちゃんと並ぶ。家族のみんなに「美味しいね」と言われることが、少し照れくさくもあり、誇らしかった。

ひこにゃん(広島県・40代)

海!それは小さな静かな海です。いつも心の中に思い浮かべて現れる海です。瀬戸内海の広島から宮島口までの小さな海ですけど私の心の中の全部を占める海です。朝は静かな海に心の中で今日も一日よろしくね。と挨拶をし帰る時は月の光が海面に美しく流れてキラキラとしていて今日もありがとうと疲れている心の中が幸せに生き返らせてくれる海です。その海に遭えなくなって60年。海は私の心の中にあり苦しいときも心の中で私を慰めてくれます。海、海、素晴らしい海です。

太平洋の洋に美しい(広島県・80代)

生まれ育った所は周りに海はなく、海の幸はほどんど口にすることがなかった私が縁あって山口県に住むようになった時、こんなにおいしいお刺身は食べたことがない、と思った時から早いもので40年。新鮮なお魚を知ってしまった頃のことを思い出しました。

利子(山口県・50代)

70年程前、広島の叔母の家に遊びに行き海に行った時、従姉の足がつく所までと抱っこして海に入った。すると急に深くなっておぼれそうになった。それに気づいた従兄が背中を押して助けてくれた。その後しばらく海がこわくてしかたなかった。プールではいくらでも泳げるのに海はこわいイメージ。

ヒロさん(福岡県・70代)

小学校の時、初めてまて貝を掘った、富海の海。

節子(福岡県・70代)

山口県で、お母さんとお母さんのお姉ちゃんと私で、Supをしました。とても海がきれいで、ウニや小さなエイを見ることができました!!

あこ(福岡県・10代)

夏になると山口県にある青海島から、家族みんなで船に乗って無人島で海水浴をしていました。沖からでも海の底が見えるくらい透き通ってきれいな海で、スイカを海で冷やしてスイカ割り。家族だけの貸し切り空間で、とっても楽しかったのを覚えています。

まり(山口県・40代)

とても青い海のなかでいっぱい魚が泳いでいた。しかも、近くにいても逃げず、そのまま泳いでいた。平和を感じた。魚食べるけど…。

SHIGE(東京都・40代)

笑顔あふれるしょっぱい海

SO(東京都・10代)

透き通る海に心癒される。魚と一緒に泳ぐひととき、穏やかな時間を感じて幸せでした!

Ayako(東京都世田谷区・40代)

瀬戸内海が見渡せる場所に育った私にとって、海はいつも身近な存在でした。魚釣りが趣味の父に連れられ、渡船に乗って岩場まで運んでもらうことが、幼い私にとっては大冒険で心が躍りました。父は釣り糸を垂れながら「あそこに見えるのが○○島、あの工場は○○だよ」などと、岩の上から見える故郷の景色を説明してくれました。この経験が、私の中で故郷と海、そして父をリンクさせ、とても大切でかけがえのないものにしてくれました。

こうぞう(山口県・40代)

中学生のころ、友達と海水浴に行き、あまり泳ぎの得意ではない私は、みんなと少し離れて浮き輪につかまり、足をバタバタさせて堤防の周囲を移動していました。すると、堤防からどんどん遠くなり、自分が沖に流されているのに気づきました。堤防に向けてどんなに足を動かしてもどんどん遠のいていきます。自力では戻れないことを悟った私は手を振って助けを求めましたが、片手で浮き輪をつかんでいるので、みんなには楽しんでいるようにしか見えなかったのでしょう。手を振り返してくるだけでした。そこで私はありったけの声で「たすけてくれ~!」と叫び続けました。ようやく異常に気が付いた水泳部の友人が、私のもとに来てくれ、浮き輪ごと引っ張って浜に戻ってくれました。しばらくこのことを忘れていましたが、大人になってからあれが「引き波」だったということを知りました。

大ライス小盛り(山口県・50代)

私は山の町で育ちました。身近に海はなかったですが、小学生のころ、夏なると友達の父親に連れられて海に行っていました。そこは人があまりいない、とてもきれいな海岸でした。砂浜だけでなく岩場もあり、素潜りで様々な生き物を見た記憶があります。ゴーグルの曇り止めにはヨモギをすりつぶして塗ればいい、クラゲに刺されたら海水でよく洗い流さないといけない、など自然を通して多くのことを学びました。友達同士で遊んだ楽しい記憶は今でも夏になると蘇ってきます。子どもたちには全身を使って精一杯遊んでほしいものです。

おくたか(鳥取県・40代)

故郷に近い海には砂浜がなく、足元の悪い岩場がほとんどでした。子どもの海水浴には適さない海でしたが、様々な貝や魚、海藻が豊かな海です。海に行くことは海の幸を取ったり釣ったりするイメージがありました。今でも子ども時代に両親とカサ貝を取り、炊き込みご飯を作ったことを思い出し、貝の炊き込みご飯を作ることがあります。磯の香あふれる夏のごちそうです。

えすこ(島根県・50代)

島根県松江市美保関町の北浦海水浴場に家族で海水浴を楽しんだ思い出です。島根半島の海は透明度が高く、また日本海側は波や干満差がほとんどなく、とても穏やかです。そこで子ども2人とのんびりと夏休みには何度も通いました。子どもたちがはしゃいだり、泳げるようになったり、砂遊びをしたり、かけがいのない思い出です。子供たちには、いつまでも海が好きであってほしいと思います。

藤谷裕介(島根県・40代)

地元にある、非日常だった海。僕にとって、学生時代や20代での海は、良いものと知りながら何か少し遠い存在だった。30代を迎え、砂と海に改めて出逢い、自分が生かされている事や変わりゆく街並みと残された自然を感じた。沈みゆく夕陽は何にも代えがたく、足元に感じる砂心地は、いつも不意に思い出される、波の水の音に一瞬を感じながらも、永遠を感じずにはいられない。40代、海をテーマに仕事している事を感謝せずにはいられない。
地元にある、日常になった海。「感謝」

ユージ(鳥取県・40代)

イベント等で集まった、手書きのエピソードたち。
2022年に開催した『海の森、海のいま』展で寄せられた海の思い出もご紹介します。